2018.12.16

宇宙での「無重力」は、どのくらいの高度で成り立つか(非自由落下)

高校で物理の授業を受けた人は知っていると思うが、万有引力の法則により、2つの物体はどんなに離れようが、相手から引力を受けて引張られる。
で、相手との間に何かつっかえ棒や床でもあって、そこに掴まって動かなければ、その棒や台から反作用で力を受ける。これが「重さ」(≠質量。一寸厳密さに欠ける表現だが)。

一般的に、「宇宙に行けば無重力になる!」と思われがちだが、これは正確ではない。何処に行こうが(例え銀河の外に出ても)、僅かながら地球から重力を受けていて、重さは0にはならない。
ましてや、地球の周りを回る人工衛星やスペースシャトル(古いな・・・)如きの高度では、全然地球からの重さは0にはならない。
※では何故国際宇宙ステーションでは人やものがふわふわ浮いてるんだよ?っつーと、あれは上記のつっかえ棒や床等が無い、もしくは一緒に地球表面に沿って「落っこちて」いるから。この先、もし軌道エレベーターでもできれば、衛星軌道高度であっても、自分の体重は地上と大して変わらない。


で、題記の「無重力」だが、上記の通り、本当に無重力になる事は無いのだが、仮に地上の1%の重さになったら無重力(と言うか微小重力)になるとした時、ではそれは実際、どのくらいの距離なのか?ふと気になって計算してみた。
※これはあくまでも対地球との「重さ」であり、月・太陽始め、この世のあらゆる天体から引力を受けているので、本当はそれらからの影響も考慮しなければならない。しかし、話の単純化の為、今回は無視する。


g=g0*(R/(R+h))^2
h:高度
g:高度hでの重力加速度
g0:高度0での重力加速度
R:地球の半径

F=mg
F:重力加速度がgである時の重さ
m:質量。61.25kgとする(高度0mで大体60kgの重さになる)。

として計算した結果が下記。

・高度500kmで大体半分になる。
・静止衛星軌道で2%くらい。
・月軌道では0.01%で、「地球からの引力の影響は」殆ど無い(月面では、月からの引力に影響されるので、重さ0にはならない。月から遠く離れていれば、大体0と考えて良かろう)。
Photo


※データ流用用に、見にくいけれどカンマ区切りでも下記に。
備考 , h:地球表面からの高度(km) , (地球表面からの)高度(m) , g , 重さ(kg) , %
, 0 , 0 , 9.8 , 60.025 , 100.000
旅客機高度 , 10 , 10000 , 9.7693078798 , 59.837 , 99.687
, 20 , 20000 , 9.7387597188 , 59.650 , 99.375
, 50 , 50000 , 9.6479700366 , 59.094 , 98.449
, 100 , 100000 , 9.4994505472 , 58.184 , 96.933
国際宇宙ステーション軌道 , 408 , 408000 , 8.6558559043 , 53.017 , 88.325
, 500 , 500000 , 8.4256106965 , 51.607 , 85.976
, 1000 , 1000000 , 7.3213043906 , 44.843 , 74.707
, 2000 , 2000000 , 5.676577899 , 34.769 , 57.924
, 2600 , 2600000 , 4.9426467486 , 30.274 , 50.435
, 6350 , 6350000 , 2.4580956634 , 15.056 , 25.083
, 10000 , 10000000 , 1.4841946742 , 09.091 , 15.145
, 13700 , 13700000 , 0.9874230568 , 06.048 , 10.076
静止衛星軌道 , 35786 , 35786000 , 0.2238215455 , 01.371 , 02.284
, 50000 , 50000000 , 0.1251785186 , 00.767 , 01.277
, 55000 , 55000000 , 0.1056123937 , 00.647 , 01.078
月との距離 , 384400 , 384400000 , 0.0026049335 , 00.016 , 00.027

以上。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.04.20

考えさせる教育

NHKの「ニュース深読み」で「脱ゆとり教育はどこへ行く」というのがあっていて、「考えさせる授業」という事でフィンランドの事例が紹介されていた。

正直、「ゆとり」と若い世代を馬鹿にする風潮が嫌いだ。
一応ゆとり世代の一寸前の世代だが、そう詰め込みされていた感じは無い。まぁ、大学の時に「ゆとり世代」の高校の授業に触れる機会があり、物理が理科Iから消えていたのには唖然としたものだが、自分の世代だって、学校の授業なんて、受験レベルから言えばお遊びみたいなもんだった。
私が通った高校は一応進学校で、多少なりとも受験に効率化された授業を行ってはいたが、自分で買える参考書のレベルで比較しても、内容は緩くてお笑い種だったものだ。
本気で進学を考えてる人間は、学校の授業がどんなレベルだろうが関係無しに、自力で(もしくは親の出資で塾なぞに行って)高度な勉強をしているだろう。
そうしない人間が今「ゆとり」と呼ばれているのではないか?こういう人は、詰め込み教育の時代だってかなりの率で居た筈。
「自分で考えない」?「言われた事しかしない」?前者は戦中戦後大部分の日本人がそうだったのではないか?後者は、私の一寸前の世代だって言われていた事だ。
と言うか、アメリカのやり方が日本の子供に浸透しただけだろう。

閑話休題。
NHKの番組に話は戻って。

考えさせる授業、大いに結構だ。自力で考える事と、それを表現する方法について、日本人は能力が乏しいというのは、前々から言われてきた事で、私としてもそれは改善した方がいいと思う。ひたすら教科書の内容を黒板に板書し、それをノートに書き写させる「だけ」の日本の大部分の授業は、無意味だと思っていた。

で、番組ではフィンランドの国語の授業を模して実演してみせた。
ピカソについての授業だった様だが、最初はキーワードだけ提示し、次に挿絵を見せて色々想像させ(ブレインストーミングの如く)、最後に教科書本文を見せるというものだった。
#更に補足で、連想したキーワードの関連図を作成させるという、プロジェクトマネージャー関連でやる様な事もやらせているとの事だった。

番組で取りまとめのアナウンサー女史も指摘していたのだが・・・う~ん・・・これ、「国語」の授業でやるべき事か???
色々考えさせるというのはいい事だが、それは「答えが決まっていない」ものについてやるべきであって、「答えが決まっている」ものについてやった所で、回答が誤っていたら単なる徒労にしかすぎず、生徒自身が考えたくなくなるのではないか???
当の「フィンランドの授業」にも疑問が残った。色々な解釈を生徒から引き出す・・・割には、結局教科書の本文を見せるのは、矛盾ではないか?結局正解は固定だ。

考える、というのは、目的が無ければできないだろう。その目的が特に提示されずに唯「考えてみよう」というのは、無理な話ではないか?
#まぁ、芸術分野では話は別だが。
#目的が曖昧なので、明確化する方法を教える、というのなら、それはそれで意味があるとは思うが。

こういうのは、それこそ「ゆとりの時間」のコマにこそやるべき事だと思う。授業名は「思考方法」とでも変えれば良かろう。より合理的/多彩な事を考えた生徒に評価を与えるとでもすれば、生徒もやる気が出るだろう。「結論ではなく過程に意味がある」というお得意の言葉は、こういうやり方にこそ一番マッチする。
理系の分野の方が適していると思うが、文系だって適用できるだろう。
歴史、経済、小説の解釈当、正解の無い命題は沢山ある。
授業中の先生の小話を一コマに広げた様なものだ。これこそ設けるべき「ゆとり」ではないか?
#例えば、歴史ならば、世界で横断的に見て、特定の時代が何故そういう流れになったのかを考えさせる。数学ならば、微分積分が何故作られたのかを教え、応用はどんな事ができるかを考えさせる。こういう思考方法は、学校を卒業してからも絶対役に立つ。第一、楽しい。

| | Comments (31) | TrackBack (0)